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2004年11月号掲載 よしだともこのルート訪問記

第97回 tomo.gr.jpお引っ越し騒動
〜リヒトシステムズ 真崎理人さん訪問〜

今月のルートさん:
真崎 理人(まさき りひと)さん
有限会社リヒトシステムズ 社長
安田 豊(やすだ ゆたか)さん
ばっかーず、まるたご屋計画などのサイト管理者。Cobalt Users Group代表
よしだともこ
ルート訪問友の会(tomo.gr.jp)代表

有限会社リヒトシステムズとは
1996年8月創業。主にWindows用の業務アプリケーションやコンポーネントを開発している。
http://www.rihito.co.jp/


ばっかーず、まるたご屋計画とは
ばっかーずは、世界中をバカばっかりにするために活動している団体。こちらは1995年スタート。まるたご屋計画は、1998年に始めた、ネットワーク上の拠点を自分たちで築こうという互助会的プロジェクト。
ばっかーず
http://bakkers.gr.jp/bakkers/index-j.html
まるたご屋
http://bakkers.gr.jp/maruta/


ルート訪問友の会とは
1998年のtomo.gr.jpドメイン取得時に正式にスタートした。ほかのサイトのネットワークを見学し、訪問先の担当者との雑談を楽しむ会。その活動の1つが、UNIX USER誌への記事連載である。安田 豊さんに、数多くの取材先を紹介していただいている。

■tomo.gr.jpとリヒトシステムズ

よしだ(以下、Y):大変にお久しぶりです。tomo.gr.jpが動いているCobalt NetworksのCobalt Qube注1(以下、Qube。写真1)2700J注2を、真崎さんの会社に長年置かせていただき、ありがとうございました。
 1998年夏、まずは、買いたてのピカピカのQubeを私の自宅のLAN環境につないで、Namazu注3やfml注4、エディタなどをインストールして、新しいWebページなども作って、それを風呂敷に包んで大切に抱いて注5電車に乗って、真崎さんのところへ持って行ったのが、ちょうど6年前の9月23日でした。あの夏も今年同様にとても暑かったのですが、「自分でサーバーを構築するんだ!」という夢と希望でワクワクしながら作業をしていたのが、とても懐かしいです。

真崎さん(以下、真崎):もう6年ですか。早いものですね。ISDNの64Kbpsという、当時の超高速回線をリヒトシステムズの事務所に引き込んで、安田さんグループとよしださん、私の3人で回線費用を負担して、自分たちのサーバーを立ち上げようとしたのが始まりでしたね。
 当時の私にはUNIXに関する知識などほとんどなかったのですが、Qube 2700Jのおかげで、アッという間にサーバーサービスを始められました。

Y:当初は、安田さんのばっかーず、真崎さんの会社サイトも、独自サーバーを使っておられて、Qubeはtomo.gr.jpのサーバーだけでしたよね。「私のQちゃん、カッコイイでしょ!」と自慢してたのを覚えています。その後、新しいオフィスに引っ越された1999年春に真崎さんもQubeを導入されて、1999年夏からは、bakkers.gr.jpも当時の新製品RaQ 2になりましたね。

真崎:新しいオフィスは、ビルの防音がしっかりしているおかげで室内がとても静かな分、PCの発する音が気になってしかたがありませんでした。そのうえ、24時間動作し続けるインターネットサーバーとなると、壊れたスピーカーの雑音のようにうるさく感じられてならなかったのです。そんなときに、tomo.gr.jpが非常に静かだったことから、1999年の春、思いきってrihito.co.jpのサーバーもQubeにリプレースすることにしました。これが大正解でした。

Y:私のQubeは、6年間、ほとんどトラブルもなく、マシンをリブートしたのも数えるほどでしたが、真崎さんは、バックアップなどにも気を使ってくださっていたんですよね。トラブルがなかったせいで、そのことに感謝することなく、6年間が終わってしまいましたが。

真崎:私がいわゆる「大家さん」としてやっていたのは、ネットワークと電源の維持、管理、バックアップと障害時のリカバリなどでした。あまり熱心な大家さんではありませんでしたが。費用の面で無理なためネットワークを2重化するわけでもないし、UPSは用意していますが自家発電の設備があるわけでもありません。後はバックアップですが、回線速度が遅かったときには、毎週フルバックアップを取り、万一の障害時には準備していたバックアップ機にそのデータを戻せる用意をしていました。
 しかし、よしださんと私のどちらのQubeも、まったくノントラブルだったので、バックアップ用に用意した2台のQubeの出番は一度もありませんでした。1日24時間、365日稼働していて6年間壊れない。きっと当たりのHDDだったのでしょうが、電源を含めて発熱が少ないことと、Qube自体の設計の素晴らしさによるものでしょう。自分のことのように、大いに自慢したくなります。

Y:本当に。サーバーはずっと同じでしたが、ネットワーク回線の太さと価格は変わりましたね。

真崎:はい。この6年で、リヒトシステムズのネットワーク環境もずいぶん変わりました。うちの会社では当時からWebを使ったASPサービスをしていたのですが、回線費用が安価になったので念願の回線の2重化もできるようになりました。簡易的なものですが、必要十分です。ケイ・オプティコムの安い光ファイバーを2拠点に引き、エントリー用のWebページだけをホスティング業者に依頼しても月々3万円もかからないのですから、うれしい限りです(図1)。

Y:そのASPサービスの仕組みとして、回線の2重化やWebサーバーをバックアップされているのですね。具体的にどのようなことをやっているのですか?

真崎:具体的には、5分ごとにメインサーバーの応答確認を行い、応答なしが連続して続く場合には「サーバーダウン」と判定し、エントリーページからのリンク先URLをバックアップサーバーに書き換え、管理者へ障害発生メールを送信しています。
 両サーバーともデータベース(PostgreSQL)を使用していますが、サーバー間の完全な同期化は面倒ですからスッパリとあきらめ、サービスしている業務で許容できる範囲内で簡略化しています。具体的には、1日2回データベースの同期化を行い、障害発生時(バックアップ機に切り替わった場合)には、更新処理のほとんどを即時更新とはせず、できる限り更新キューファイルへの書き出しとすることで実現しています。
 今回、3人の寄り合い所帯の解消をお願いすることになった理由は、うちの事務所の引っ越しでした。一緒に引っ越すという案もあったのですが、回線費用も安価になったので、それぞれが独立するいい機会だろうということになったのです。少し寂しい気もしますが、いまから思い返せば楽しい日々でした。感謝しています。

Y:私のほうこそ、ありがとうございました。

写真1 写真はSun Cobalt Qube 3。寸法は一辺が約20cmで、重量は約4.2kg。Cobalt Qubeといえば、軽量小型、かつコバルトブルーの美しいきょう体でおなじみだった

図1 リヒトシステムズネットワーク概略図(2004年9月現在)
リヒトシステムズネットワーク概略図(2004年9月現在)

■まるたご屋計画、ばっかーずサイトは安田宅へ

Y:まるたご屋注6計画は、お友だち集団として「自由に使える専用線があったら、何ができるだろう?」と考えることからスタートしたんですよね。そのメリットが「個人の情報を完全に守れること」だと、安田さんが話していたことが、顧客データの流出報道などのたびに思い出されました。
 また、「ネットワークに関する技術はあるけど発信したい情報はそれほどない人、発信したい情報はあるけど技術力がない人、もちろんその中間の人も、お互いに信頼関係を持って助け合えるといい」というのも、そのとおりだと思いました。

安田さん(以下、安田):インターネットに自分たちのサイトを作ろうと思うようになったのは1995年ごろですが、当時は家庭レベルで手軽にインターネットに常時接続するという状況にはなっていませんでした。もちろん、技術的には可能だったのですが、コストが家庭的ではありません注7でしたよね。
 さまざまな変遷を経て、ばっかーずサイトはいま私の自宅にあります。その変遷は安価な回線やQubeのような小型ハードウェアなど、いくつかのカギとなった技術やサービスとの出会いの歴史です。たどり着くにはあまりに長い道のりでしたが、いま、自宅にサーバーを置き、自分たちで情報発信するということがようやく個人の手の中に落ちてきたのだなと感じています。
 具体的な構成としては、Bフレッツによる100Mbps回線と、IP unnumberedに対応した普通の家庭用ルーターを利用していて、対外的に公開しているサーバーは現在2つ、Qube 2とRaQ 2です。家庭内で端末として使っているPCは、この線にさらにNATを介したうえで、Mac数台、LinuxをインストールしたノートPC1台とを有線と無線でつなげています。
 ただ、サーバー2台、ルーター2台、スイッチ、Bフレッツの終端装置などが並ぶとかなり暑いです。サーバー自体の電気料金は大したことがないはずですが、それ以外のネットワーク機器のせいで暑い。こんなところで電気代とクーラーの利用頻度が上がってしまっています。家庭でインターネットというのはまだまだ改善の余地があるなあとは感じています。

Y:ばっかーずサイトには、いろんな利用者がいらっしゃるのですよね。

安田:そうですね。POP、SMTPが動けばいいというユーザーと、「僕はTelnet(SSH)してEmacsでメールを書きたい」という両極端のユーザーがいますね。この「まるたご屋計画」で一番引き合いがあったのはメーリングリストでした。

Y:無料でメールアドレスやメーリングリストを持てる時代になりましたが、その場合、情報が完全に守られるとはいいきれませんからね。
 ところで、tomo.gr.jpのQubeが6年間、ほとんど問題なく動いてくれたことについては、安田さんにも感謝しています。


安田:実は、僕たちのRaQ 2はHDDがガンガン壊れたのですけど、まあ基板というか回路はまったく問題ありませんでした。壊れるところはないですからね。
 また、電源のようなアナログ、かつ熱を出す部品は結局のところ「熱=消費電力量」が少なければ少ないほど壊れにくくなります。Qubeなんて25Wが最大くらいで、実際CPUもHDDも働いていないときはもっともっと少ないですから、あのACアダプタもかなり余裕を持って動いてると思います。だから壊れようがないのです。

■Qubeへの愛着と、Blue Quartz

Y:真崎さんが「HDD/DVDレコーダー用のBlue Quartz注8をリリースしてください」と話していましたよ。Blue Quartzについて、製品の歴史も含めて、Cobalt Users Group注9(以下、ユーザー会)の代表の安田さんから、簡単に紹介していただけますか。

安田:いまはなきCobalt Network初の製品であるQube 2700は、1998年3月に発表されました。日本では、1998年5月、「ぷらっとほーむ」のサイトにQube 2700がひっそりと掲載されました。それを偶然見た知人が私にメールをくれて、私も別の人に知らせるという形でファンが増えていったのです。それがユーザー会の始まりで、Qube 2700のほぼ20cm立方という小さなサイズ、コバルトブルーに着色されたスケルトンデザイン、正面に輝くグリーンのLEDは、従来のゴツいコンピュータを見慣れた目には実に新鮮だったんです。
 その後Cobalt Networksは、ISP向けの製品RaQを皮切りに、Qube 2、RaQ 2、RaQ 3、RaQ 4、Qube 3と新製品を発表し続けました。そして、2000年9月に米サン・マイクロシステムズ(以下、サン)に買収されました。
 サンのもとでは従来製品の販売が続き、買収後初の実質的な新製品といえるSun Cobalt RaQ 550が発表されたのが、2002年9月です。Qube 3に実装されていた運用管理システムSausalitoを複数ドメインに対応させた製品で、高速CPUを採用することで登録サイトを増やしたときの安心感を高めていました。しかし、2003年3月にQube 3の販売終了が明らかになり、Sun Cobaltサーバーアプライアンス製品すべてが11月には販売終了となりました。サポートは継続とのことですが、とりわけ、シンボル的存在のQubeが商品としての生命を終えるという事実は、ユーザーにとって寂しいものでした。
 しかしサンは、2003年7月にQube 3用ソフトウェア、また12月にRaQ 550用のソースコードをオープンソースとしてリリース注10してくれました。これで、Sun Cobaltサーバーアプライアンス製品の2系列がオープンソースとなったのですね。そこで、ユーザー会では、Project Blue Quartzという、これらソフトウェアを他環境へ移植する作業をサポートする活動を始めました。すでに、Qube 3をベースとしたBlue Quartzソフトウェアが、ここからリリースされています。またユーザー会としては、RaQ 550ベースのBlue Quartzシステムの開発を含めて、今後もソフトウェアの展開にかかわっていくつもりです。

Y:期待していますので、よろしくお願いします。

■tomo.gr.jpのお引っ越し騒動

 tomo.gr.jpという自分のサーバーを持つことで、よしだ自身もいろいろと楽しめました。まずは、ドメイン名を申請するという作業自体がうれしかったです。ちょうどgr.jpドメインが始まった直後だったので、tomo.gr.jpという名前も取れましたし。
 自分のサーバーを持ったことでとくに便利だったのは、メーリングリストが自由に作れたこと、FTPサイトを立て、自分の原稿を書き次第そこに置いて編集者などに自由にゲットしてもらえたこと、自由にWebページを書いて、Namazuで検索できるようにするなどが行えたことでした。オープンソース関係の活動では、FreeWnnプロジェクト関連のサービス提供にも使いましたが、今回の引っ越しを機に、メーリングリスト、Web、CVSなどもSourceForge.jpに切り替えることにしました。
 さて、ここまでで紹介したように、真崎さんの会社のサイト、安田さんのばっかーずサイトは、それぞれ独立されました。「tomo.gr.jpはどうすべきか?」をぎりぎりまで保留して、本来の期限切れである7月末を1か月以上延長していただきましたが、なんとか、知り合いが立ち上げているFreeBSDベースのサーバーのバーチャルホストという形で継続できることになりました。
 まず、お引っ越しに際して私が立てた予定表は、次のものでした。
  • tomo.gr.jpにSSHで入って、不必要なファイル、記述を消すなどの作業
  • メーリングリストのうち、廃止するものをメンバーにアナウンス
  • 必要なファイルを、tarで固めるなどして、tomo.gr.jpからバックアップ
  • バーチャルホストの設定関係の作業を依頼
 また、バーチャルホストの設定関係では、Webページとメール関係でtomo.gr.jpを使い続けるために、次の手順で作業を行いました。
  1. 旧サーバー(Qube)で動いていたDNSサーバーにおいて、新たにwww2というAレコードを増やして新しいサーバーのIPアドレスを設定
  2. ドメイン管理会社(レジストラ)に、新しいDNSサーバーの追加を依頼
  3. 新しいサーバーで、DNSの設定、Apacheの設定を実施
  4. 変更した設定が機能しているか確認(レジストラ側で新しいDNSサーバーのNSレコードが有効になって、その情報がネットワークに行き渡ったかどうか。サーバーwww2.tomo.gr.jpで名前解決ができるか。http://www2.tomo.gr.jp/としてWebページが見えるかどうか)
  5. 上記確認完了後、http://www2.tomo.gr.jp/をhttp://www.tomo.gr.jp/として本格運用に入る
  6. 新しいDNSサーバー上でMXレコードを追加し、send mailのバーチャルホスト設定などを実施
  7. ドメイン管理会社(レジストラ)に、旧DNSサーバーの削除を依頼
  8. Qubeの電源を切り、旧サーバーの回線を終了
 2004年9月下旬、6年間働き続けたQubeは、こうしてサーバー引退の日を無事迎えたのでした。引退後は、自宅の内部ファイルサーバーおよびWebページテスト用として、のんびり暮らしてもらおうと思っています。安価なPCでさえ何十GBもの容量のHDDが選択できるようになり、HDDが2GBのQubeを内部LANにつなぐ意味はあまり(まったく?)ないのが現実なのですが、今後もそれなりの仕事を担ってもらうことで、これまでの感謝の気持ちが表せるのではないかと。
 さて、上述の「ドメイン管理会社(レジストラ)」についても、旧tomo.gr.jpのときに使っていた会社は回線とセットでの利用しかできないとのことで、新しい会社を探して新規契約する必要がありました。
 多くの会社の中から選択するときの基準としては、「Web上で簡単に、設定が登録・変更できること」と「安価なこと」という2つの条件を考えて探しました注11
 最終的には「よく分からないけれど、ここでいいかな?」程度の判断で決めた会社注12でしたが、当初の申し込みも、その後のDNSサーバーの変更もかなりスムーズで、お勧めだと思います。個人的には、「変更依頼を承りました」といった業務連絡のメールにも、担当者の名前が入っていることが気に入りました。
 ということで、なんとか無事、tomo.gr.jpは新しいサーバー上で引き続きサービスを継続できてホッとしています。ふと気が付くと、キーボードを打つ腕と机の間に汗がにじむ真夏は終わっており、日は確実に短くなり、ときに秋の風が吹く季節になっていました。

引退するCube

注1 Cobalt Qube
Cobalt Networksが開発・発売していたインターネットサーバー。1998年にコバルト・ネットワークス(株)が設立され、日商エレクトロニクス、ぷらっとほーむなどから日本語化された製品が販売されていた。2000年9月の米サン・マイクロシステムズによるCobalt Networksの買収後も人気を博したが、2003年11月、関連製品群がすべて販売終了となった。

注2 Cobalt Qube 2700Jのハードウェア仕様
CPU:MIPS 159MHz
メモリ:16MB
ハードディスク:2GB
OS:Linux

注3 Namazu
手軽に扱えることで人気が高い日本語全文検索システム。CGIとして動作させることで、小中規模のWeb全文検索システムを構築できるほか、コマンドラインやEmacs上から使うなどの個人用途でも利用できる。
http://www.namazu.org/

注4 fml
メーリングリストを作るためのソフトウェア。Perlによって記述されている。
http://www.fml.org/

注5 風呂敷に包んで大切に抱いて
Cobalt Qubeの大きさ、またそれを大切に抱いている様子はまるで「骨壷」のようだった。

注6 まるたご屋という名前の由来
「まるたご屋」という名前は、「みんなで寄り集まり、ログ・ハウス(丸太小屋)を建てるようにしてネット上にサイトを作りましょう!」という部分からきた。「丸太小屋」と書いても芸がないので「まるたご屋」とし、「まるたご」と「屋」の間で一息おいて発音する。

注7 コストが家庭的ではなかった
1996年12月にOCNエコノミーがスタートしたが、料金が1か月で約4万円と、個人が趣味のために払うには高すぎた。

注8 Blue Quartz
Sun Cobaltサーバーアプライアンス製品のGUIは、現在「Blue Quartz」として無償で入手できる。

注9 Cobalt Users Group
http://cobaltqube.org/index-j.html

注10 オープンソースとしてリリース
カーネル関連ファイルはGPLで、それ以外のファイルはBSDライセンスとなっている。

注11 2つの条件を考えて探しました 
最初、3つ目の条件として「ルート訪問記の取材に応じてくれそうなところ」、さらには「私の大学の学生を見学(加えて、インターン、アルバイト、就職などなど……)させてくれそうなところ(笑)」という厚かましい条件も加えようかと思ったのですが、さすがに申し込み前にそれを知ることは不可能なので、それらの条件は考えないことにしました。

注12 名づけてねっと
NTT PCコミュニケーションズが運営するドメイン登録サービス。
http://www.nadukete.net/

私のUNIX #23 〜真崎理人さんのUNIX〜

●OS環境:Red Hat Linux 9、Turbolinux 10 F...

●シェル:Bashがほとんどですが、ちょっとだけZsh

●ウィンドウマネージャ:KDE

●エディタ:仕事用にvi、勉強用にEmacs

●日本語入力:FreeWnn

●そのほかのこだわり

 正直にいえばUNIXの習熟度はあまり高くはないので「なんちゃってUNIX USER」なのです(ごめんなさい)。
 私たちの会社では、Windows用業務アプリケーションやコンポーネントを開発していることもあって、私は普通のWindowsユーザーでした。そんな私がUNIXに触れることになったのは自社のWebサーバーを立ち上げたことがきっかけでした。しかも初めて触れたUNIX環境がCobalt Qubeで、いくつか設定を変更するためにコンソールを叩いていた程度なのです。
 そしてその後、Apache、PostgreSQL、MySQL、Tomcat、Zopeなどなど、オープンソースの魅力的なアプリケーションを使って安価なシステム構築をしたいという、これまた不純な動機で知識を深めることになりました。おかげで、使用頻度が増えるにしたがってUNIXに対する憧れが強くなり、少しずつ「なんちゃって」の度合いは薄くなってきたようです。
 今年のお正月にたてた目標は、「Windowsの利用をやめて、UNIXに全面移行する」というとても純粋なものになりました。とはいえ、移行はまだ道半ば。がんばりたいと思います。

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Last modified: Mon May 21 13:22:00 JST 2007 by Tomoko Yoshida