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2005年2月号掲載 よしだともこのルート訪問記

第100回 コンピュータと心
〜京都大学大学院 人間・環境学研究科 立木秀樹先生訪問〜

今月のルートさん:
立木 秀樹(ついき ひでき)さん
京都大学大学院 人間・環境学研究科 数理科学論講座、および京都大学 綜合人間学部 数理情報論分野 助教授
吉田 純(よしだ じゅん)さん
京都大学 高等教育研究開発推進センター および京都大学大学院 人間・環境学研究科 人間社会論講座 教授
※所属部署・肩書は取材当時のものです。
京都大学大学院 人間・環境学研究科とは
自然、人間、文化、文明にかかわる諸学問分野の連携を通じて、新たな人間像と文明観、自然観を確立することを目指して1992年に設立された。全学共通科目の実施責任部局として、全学の教育にもかかわっている。
http://www.h.kyoto-u.ac.jp/jinkan/

■技術面にまで踏み込んだ濃い授業を展開


よしだ(以下、Y):2004年度の前期には、非常勤講師として、私が教員をしている京都ノートルダム女子大学に「情報科学概論注1」を教えに来ていただき、ありがとうございました。

立木先生(以下、立木):こちらこそ、よしださんに、授業に毎回来ていただき、楽しく教えることができました。

Y:ノートルダムでは、PCを使い込む科目は充実しているのですが、科学としての情報を教える授業が十分とは私には思えませんでした。そのため、立木先生が京都大学で教えておられる「情報科学」の講義のような、学問としての情報の授業をノートルダムの学生にも学んでもらいたいと思っていました。ちょうど、私の所属する人間文化学科では、2004年度から全国大学実務教育協会の認定資格「情報処理士」のための科目をいくつか新設することになり、その条件として情報科学の科目を必修とすることがあったので、実現したというわけです。
 授業内容の最後のテーマである計算論的世界観は、昨年の綜合人間学部十周年記念講演会で話されていた内容注2と同じだそうですね。


立木:はい。ここでいう「世界観」の「世界」とは、「自然」のことなのです。自然はアナログにできています。アナログで連続なものを計算という立場から眺める、あるいは、計算を人間の認識の過程と考えて、人間が連続的なものを極限として認識する過程について考察するというのが、私の研究テーマなのです。そのさわりの、一般の人にも分かりやすいところの話です。コンピュータの話ばかり聞くと、0か1かという離散的な思考が強くなってしまうので、計算と連続性をつなげる話をしたかったのです。

Y:なるほど。一般的に「賞味期限が今日だから、今日中に食べなくちゃ」などといいますが、物はゆっくりと連続的に腐っていくもので、食べても大丈夫かどうかというのは、実際は二者択一ではないですよね。たとえば、火をとおしてみるとか、子供にはあげないでおこうとか、古くなりつつあるものに対して連続的なさまざまな対処方法が自然にできるはずですよね。ただ、若者世代を中心に、そういう柔軟な対応が苦手になってきているのではないかと思います。0か1かで動いているコンピュータが広まったことの影響でしょうか?

立木:そういえるかどうかは分かりませんが、世の中、イエスかノーかをすぐに求める傾向がどんどん強くなって、ゆっくりと考える余裕がなくなっていますね。

Y:そういう中で、連続の価値を見つめ直すことは、学生にとっても重要なことだと思います。情報の講義では、定番ともいえる2進法の説明の際に、グレイコード注3の説明もされていましたね。

立木:はい。「計算論的世界観」で実数の計算の話をするための前振りでもあったのですが、2進法の話だけを聞くと、数を0、1の列で表現する決まりを覚えてそれで終わってしまいますよね。2進法そのものは、実際にコンピュータの中で使われている以上、それを覚えないとその仕組みを理解できないのは確かです。しかし、2進法は、これを用いると回路が作りやすいといった理由で広く採用されているだけで、人間が作った「決まりごと」の1つでしかありません。実世界に存在する対象と、それを表現している文字列を区別するうえで、2進法とは別の表記法を知ることは重要です。

Y:立木先生は、意味と表現、あるいは中身と形式の関係について繰り返し述べられていましたね。プログラミングの授業でも、123という数値と、「"123"」という文字列の違いを認識させるのに大変なことがあります。「決まり」の決め方によって、「"10"」が2になったり3になったりするのは、経験しておく価値がありますね。

立木:コンピュータの決まりごとを覚えるのは重要ですが、コンピュータなんて、しょせん人間が定めた決まりごとの集まりでしかないんだよという「さめた」見方も、ときには必要だと思うのですが、いかがでしょう?

Y:確かに。その見方を先に学生に徹底しておけば、使ったこともないメールソフトやワープロの使い方を学生に聞かれたときの予防線になりますよね(笑)。

立木:ははは。そうかもしれません。

Y:立木先生の授業でアルゴリズム記述について学んだ後で、「料理をしているとき、適当にやっているようだけど、実際には『野菜に火がとおったか?』のような条件分岐を経て行動を変えていたわけで、人間が無意識でやっていることも、実は複雑な処理だったんですね」といっていた学生がいました。

立木:人間の能力として、アルゴリズムを意識せずに、何らかの選択や行動を採用してしまえるというのが、人間の人間たるゆえんですからね。

Y:また、文系相手の授業なのに、具体的にマシン語のレベルでコンピュータの動作を教えていたのが、斬新でした。

立木:プログラムを組めるようになるという技術的なことが授業の目的だったら、こんなことはしませんね。デジタルにものごとを表現して、それを処理するとはどういうことか、その原理を教えるのが目的なので、ここまで説明を落としてくる必要があると思います。
 簡単な1命令1バイトのマシン語を定義して、それに従って話をしたのですが、そう難しくなかったでしょう?
 これくらいの話で、コンピュータの動作原理の説明は済むのですから、文系理系と垣根を設けず教えるべきだと思いますよ。これを用いて、コンパイラの仕組みも話しましたし、自分の書いたプログラムがどうやって動いているのか、本質的な部分は納得してもらえたと思います。
 このときに動かしながら説明をしたマシン語シミュレータは、Javaアプレット注4として作成し配布しているので、興味のある人に遊んでほしいですね。

Y:その後のOSの話も、具体的なコンピュータのイメージがあってこそ理解できるものだと、私もいろいろ勉強になりました。
 そして、「再帰的な手続きとシェルピンスキー四面体」の授業では、実際に学生にセロテープとハサミを持ってきてもらい、みんなでシェルピンスキー四面体注5を作りましたね。学生にはこれが一番印象に残ったようです。


立木:あれは、よしださんの協力がないと、絶対にできませんでしたよ。本当にありがとうございました。材料の準備や授業中の学生への指示もそうですが、何より、よしださんに背中を押してもらわないと、これを授業でしようという決断はできなかったと思います。それに、「来週はセロテープとハサミを持って来るように」といって、実際に皆さん持って来てくれたのがうれしかったですね。ノートルダムの学生さんでないと、こうはいかないですよ。

Y:再帰を教える場合、CGで2次元のシェルピンスキー・ガスケット注6を描くといったことがよく行われていますが、手を動かして工作したほうが絶対楽しいですよね。図工の時間を思い出しました。

立木:それこそ、「手順」というものを具体的に実感できますから、教育効果も高いと期待したいです。学生を再帰的に配置し注7、黒板に書かれた作成方法の再帰的なアルゴリズムを見ながら、みんなで協力して作ってもらったのですが、面白かったですね。こういうことをすると、理解力のある子とない子、仕事が正確な子と仕事内容を理解していても失敗する子、紙の切り方やテープの貼り方が丁寧な子と雑な子、テープをきれいに貼るためのちょっとした工夫ができる子、人と協力ができる子、よく分かりますよね。就職試験にいいんじゃないかなとさえ思いました。

Y:それは面白いですね。指示した方法でグループ工作をさせて、その様子を見るというのは、就職試験以外では、人事部が配属場所を決めるのにも使えそうです。

立木:それに、この立体図形は、小学生でも分かるようなレベルで面白い性質をいっぱい持っていますから、十分楽しめたでしょう。

Y:はい。授業を聞いて、驚きの連続でした。とくに、立木先生が教卓の上に立って、完成したシェルピンスキー・四面体にプロジェクタの光を当てて、影を作っているときの、あのうれしそうな顔が印象的でした。不思議なことに、正方形の影注8ができるんですよね。私自身もやってみたくて、自宅であの立体図形を作って、光をあてて実験してみたほどです。

立木:あれは、東邦大学の竹内泉先生が研究集会でやっていたのを、まねさせてもらいました。

Y:シェルピンスキー四面体を用いて、さらに面白いことを考えられているそうですね。立木:それについては、また、時を改めて話をさせてください。

■Javaの授業のアイデアを凝縮して書かれた書籍


Y:ところで、立木先生には、『すべての人のためのJavaプログラミング』注9という書籍を出版された際にも、ノートルダムで特別講義をしていただきましたね。

立木:前半の内容は、タートルグラフィックス用クラスライブラリをサポートページからダウンロードし、そのサブクラスを作りながらJava言語の機能を学習するというもので、それまでJavaを教えながらあたためてきたアイデアを凝縮しています。後半は、Swingからネットワークプログラミングまで、標準クラスライブラリについて解説しています。おかげさまで、あちこちで使われているみたいで、7刷までいきました。最近のプログラミングの本は、分厚くて説明が丁寧で例が豊富で、その分値段が高いですが、この本は、すべて違う方針を採ってます。

Y:タートルグラフィックスライブラリを使った説明の流れが理にかなっていて、とても分かりやすいと思います。最近のプログラミングの本は、読者の目線に立った丁寧な説明を目指していて、それはそれで重要なことなのですが、この本のように、数学者っぽく、系統立った説明を目指した本も必要ですよね。それに、同じようなアイデアで書かれた教科書注10も出版されているそうですね。

立木:私も全然知らなかったので、友人からその話を聞いたときにはびっくりしました。ですけど、人にまねられるということは、Javaを教えるための私のアイデアがほかの人にも認められたということなので、うれしい面もありますね。タートルグラフィックスなどのクラスライブラリをWebサイトで提供しておいて、教科書は「new Turtle( )」から始めるというのは、Javaの教え方としては自然だと思うのですよ。

Y:ものの教え方にも、必然性とか、普遍性みたいなものがあるのを感じます。解析学のような、内容が安定していて教科書がたくさん書かれている分野では、説明の流れにいくつかの標準的な方法が存在しているそうですが、Javaの教科書の標準的な例の1つとして、定着してくれたらうれしいですね。

立木:それは夢のある話ですね。

■子供とインターネットの世界

 半年近く前に、立木先生と同じく京大の総合人間学部人間・環境学研究科 の(共生人間学専攻、人間社会論講座)の吉田純先生を取材させていただいた際(2004年10月)に、3人で「子供とインターネットの世界」の話で盛り上がったことがありました。ここで、そのときの会話を紹介しましょう。


Y:吉田純先生は、「情報化が子どもに与える影響」の調査報告書注11を執筆されていましたね。

吉田純先生(以下、吉田先生):専門の中心は理論的研究ですので、「情報化が子どもに与える影響」の調査はそこからは少し外れているのですが、研究者である以前に、一市民として、さらに子供を持つ親として、いままさに緊急に考えるべきテーマだと思い、報告書の執筆を引き受けました。

Y:インターネットにつながったコンピュータを小学生が使うことに対して、どのように考えていますか?

吉田先生:小学生レベルだと、親が責任を持ってコントロールすることが大切だと思います。PCは目的を持たない機械ですから、使いようによって何でもなります。成長段階の子供はまだ判断力が未熟ですから、「何にでもなるから、好きなように使ってみなさい」とPCを与えるべき相手ではありません。インターネットからは、テレビと比べてもはるかにコントロールされてない情報が入ってきますからね。
 子供の部屋にはPCを置かないようにするべきでしょうね。「何やってるんや」と気軽に画面を覗き込んで、それについて会話できる関係が重要です。親と子供のコミュニケーションが良好であれば、PC、インターネット環境が身近にあっても、問題にはならないと思います。
 親が詳しくなければ、子供に聞いて教えてもらうというのも、コミュニケーションが良好であればできることです。前述の調査で分かったこととして、「インターネットにハマっている、それは困ったことだ」と、子供のほうが認識しているんですね。一方、親や教師の側が認識できてないという結果が出ていました。
 インターネット関連の事件が起こると、1つの方向性としてはとにかく「PC、インターネットそのものが悪い、子供には与えるべきではない」という意見が出てきますが、それも単純すぎる考え方です。PCもインターネットも、それ自体は目的も意味も持たないただの機械でしかありません。それらにどういう意味を吹き込むかというのは、人間が、あるいは親が子供に対してやることだから、それを使ってどうコミュニケーションしていくか考えること自体が親子のコミュニケーションであるし、教育でもあると思います。

Y:なるほど。親が子供の画面を覗き込んだときに「見るな!」と隠すような関係だと、コントロールしてあげたくてもさせてもらえませんからね。しかも、インターネットが有害な情報をも提供することも知らずに、PCに向っていれば勉強していると信じて安心してしまう親もいるでしょうし。

立木:小学生レベルでは、心を育てることにもっと力を入れるべきだと思います。テレビゲームやインターネットからの情報は、刺激が多すぎて、子供の発達には悪影響があるのではないかと、この分野では素人ながら、子を持つ親として心配しています。
 数学者の岡潔注12は、著書の『情緒と創造』注13で「いまの教育には衝動的判断が非常に多い。これはことごとくやめなければ修羅道注14に行く」(脚注は編集部による追加)と記しています。これは、1964年(昭和39年)に書かれた文章なのですが、その当時から、日本の教育と人の心のありように関して、強い危機感を抱いた提言を行っているのです。衝動的判断というのは、心の中心から出ていない判断で、機械的、形式的にものごとを処理することといってもいいでしょう。
 さらに、「たとえば、キーパンチャーという、キーをたたく仕事において、キーをたたけという判断がすでに衝動的で、悦びの光はけっしてささない。長時間、それをしていると、情緒の中心が枯れしぼんで、生きていく意欲がなくなる」とも書いています。当時は、ゲームやPCはもちろんなかったし、テレビもまだあまり普及していなかったのですが、いまの時代に生きていたら、何を思ったでしょうね。

■コンピュータとこころ


Y:半年前に吉田純先生への取材のときに伺った、岡潔の著書『情緒と創造』を読んでみました。子育て中の者、ネット社会の社会学を模索する者としても、また現在の日本に多発する犯罪に心を痛める者としても「心の教育の大切さ」を実感する内容でした。

立木:私が、この本と出会ったのは、つい1年ほど前です。2003年度の京都大学の人間・環境学研究科の公開講座で、「コンピュータとこころ」というテーマで講演を引き受けてしまいました。受講生の多くは定年を過ぎた人生の大先輩ばかりで、そんな人たちに「こころ」の話をする資格は私にはないと思ったのですが、コンピュータ科学者として何か話をしなくてはならないと思い、「コンピュータで人間の心は実現できるのか」という問題についていろんな角度から調べていました。
 おりしも、鉄腕アトムの生誕日注15や、ロボットブームがあり、鉄腕アトムのような心のあるロボットを作りたいという夢が日本のロボット研究の原動力だといった論説が巷に溢れていました。話題としてはタイムリーではあったのですが、その実現性はともかく、考えれば考えるほど「コンピュータで人間の心が実現できるかもしれない」と思うだけで、人間の尊厳がゆらぎそうで、不安な気持になったのですよ。
 ちょうどそのころ、岡潔の著書と出会いました。岡潔はこの本の中で、仏教でいう六道の教えに基づいた話をしています。そして、地獄道を「世の中には、物質現象以外に何もない」という考えに陥った状態と説明しています。もし、コンピュータという「もの」で心が実現できるとしても、それは、ものすごく高い抽象化をなしたうえで実現されているのであって、直接、物質現象以外に何もないといっているのとは違うかもしれません。しかし、これこそ、私が不安に思っている状態なのです。
 また岡潔は、地獄に陥る前の段階として修羅道を説明しています。一般に、修羅道というと常に戦いばかりが続けられている世界を意味しますが、これに対し、衝動的な判断ばかりしている状態が修羅道だとしています。いい換えると、人間らしい心や情緒をとおして、思慮深くものごとを考えることができない状態が修羅道で、人間の心、情緒がなくなった状態が地獄です。意味を考えずに形式的な文字列操作だけでものごとを処理する現在のコンピュータシステムは、修羅道の域を脱することはできないと思います。
 私はチャットはしませんが、一時期、NetNewsにはまっていました。人間、もっと面白いことや重要なことがたくさんあるはずなのに、情報に接して時間を消費すること自体に充実感を感じてしまうんですね。それは、岡潔のいう情緒の回路を遮断して、修羅の道に迷い込んでいたようにも思えます。人間としてすでにできあがった大人はともかく、少なくとも子供の間は、人間としての内面、心を育てることに時間を費やすべきで、ゲームやPCといった刺激性の強いものは与え方をよく考えるべきだと思います。
 もちろん、これは科学的な話ではありません。情報機器の心や脳に対する影響については、もっと専門的に研究されている方の意見を聞いてください。しかし、宗教的な教えの中には、大切なことが含まれているのは確かですし、宗教は意識しようがしまいが、我々にとって大切なものだと思います。

Y:ノートルダムの最後の授業でも、「コンピュータと心〜コンピュータが心を持つことは可能か、それは、人間にとって脅威か?〜」というスライドを使って、その話をなさっていましたよね。

立木:ノートルダムはキリスト教(カトリック)のミッションスクールで、宗教的な意識の高い学生さんばかりなので、授業中にこの話をして、反応を見るのが楽しみでした。いいリポートが集まって本当に良かったです。

Y:私の「リポートのでき、どうでした?」という質問に、「京大生よりもいいリポートがいっぱいあった」と答えてくださいましたよね。私がほめられたかのようにうれしかったです。

立木:もう1つ、岡潔の言葉から引用しましょう。「情緒注16を、できるだけ清くし、美しくし、深くすることです。なかでも深みをつけていく。これが大事です。真・善・美とやり方は分かれていますが、どの道にせよ、ひっきょうそういうふうにつとめるべきなのです。これが人類の向上だと思うのです。」(脚注は編集部による追加)というものです。

Y:岡先生にはいまなお根強い信奉者が多いそうですが、私もその1人になりました。

■立木先生の研究室の環境について


Y:そうそう。本来の取材目的を忘れていました。立木先生の研究室の環境を紹介してください。

立木:研究室のメインマシンはPower Mac G5です。そこでXを起ち上げて、Emacsとシェルを使ってほとんどUNIXマシンとして仕事をしています。ただ、Mac OS X上では、Wnn(6または7)が動いていないので、わざわざ別の部屋にあるSolaris上でWnn6のjserverサーバーを動かして、SSHでポートフォワーディングによる接続を行っています。WnnがMac OS X上に移植されれば、そんな無駄なことはしなくてよくなるのですけど。

Y:そのとおりですね。立木先生が開発にかかわっておられたWnnは、2005年には、プロジェクトの開始から20年を迎えます。私が立木先生を知ったのもこのプロジェクトのおかげなんですよね。(コラム「Wnnの近況報告」)。
 ところで、立木先生は、画面がくっきりしていて、コンピュータのファンの音の小さいのが好みなんですよね。


立木:はい。以前は、ファンの音がうるさい中で仕事をしていてもそれほど気にしなかったのですが、たまたま耳鼻科で検診を受けたときに、「コンピュータ、あるいはクーラーの音の中で仕事をしていませんか?」と尋ねられました。ある周波数の音だけ聴力が鈍化しているというのです。ファンの音を大きく感じても、慣れてしまえば気にならなくなりますが、音に慣れるというのは実は怖いことだったんですよね。コンピュータのファンがうるさい中で常に仕事をしている人は、注意したほうがいいようです。
 それ以降、頻繁にPCをスリープするようにしました。スリープしたまま家に帰ってしまい、遠隔ログインして仕事ができなくなるのが怖かったのですけど、PowerMac G5はWake On LAN注17が可能で、VLANの設定で同じグループにつながっている共用マシンにまず入って、そこからWake On LANをかけられるので、安心して使えます(詳しくは、「私のUNIX」の囲み参照)。
 あと、最近目の疲れが気になって、ちらつきが少なく、デジタル接続で1600×1200ドット表示ができるディスプレイを使っています。

■今回がルート訪問記「丸10年で100回突破」記念


立木:今回は、ルート訪問記の100回目なんですね。おめでとうございます。

Y:ありがとうございます。連載スタート当時、立木先生のような、以前からの知り合いが、取材先を紹介してくれたり、技術用語の説明文をチェックしてくれたりと、いろいろ応援してくれていたのを覚えています。当時、立木先生はSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)にいらっしゃいましたね。
 「編集部に連載を続けさせてもらえるかなぁ……」という私の弱気な発言に対して、「もし編集部が連載打ち切りだといったら、『次は、SFCの村井純先生を取材しますから、打ち切りにしないでください』と言ったら?たぶん紹介できる」といってくださってうれしかったのが、まるで昨日のようです。とにかく、陰ながらの応援、ありがとうございました。たぶん後半は、「よくこんなの、毎月続けるなぁ」とあきれていたのでしょうけど……。
 実は、次の第101回の訪問で、この連載を卒業させてもらうことになりました。前回と今回で紹介させてもらったノートルダムという本拠地で、今後はがんばっていきます。ここまでくるのにちょうど10年。読者の皆さん、また、これまで取材に応じてくださった100名をゆうに超える方々には「おかげさまで! ありがとう!」という気持ちでいっぱいです。
 今回は、長時間にわたって、興味深いお話をありがとうございました。そして、ノートルダムの学生ともども今後ともよろしくお願いします。最終回の次号では、VALinux Japanの佐渡秀治さん、安井卓さんを訪ねますので、お楽しみに。


立木先生の講義

注1 情報科学概論
授業内容は、「情報とは ー 情報に関する様々な見方 ー」、「数や音声のデジタルな表現」、「コンピュータの仕組み、マシン語」、「プログラミング言語、インタープリタとコンパイラ」、「オペレーティング・システム」、「インターネットの仕組み」、「インターネットを用いたアプリケーションの仕組み」、「再帰的な手続きとシェルピンスキー四面体」、「コンピュータと心」、「計算論的世界観」と非常に多岐にわたる。

注2 講演会で話されていた内容
綜合人間学部十周年記念講演会「連続と計算」京都大学人間・環境学研究科綜合人間学部図書館の館報「バベルの図書館」第8巻第1号に、その際のレジュメが掲載されている。
http://www.stdlib.h.kyoto-u.ac.jp/babel/0801/04_tsuiki.html

注3 グレイコード
「0」、「1」の組み合わせによって、計算機上で数値(自然数)を表現する方法の1つ。2進法は0、1、10、11と始まるが、グレイコードでは0、1、11、10と始まる。数が1増えたときに1文字しか変化せず、グレイコードで実数を展開すると、きれいな実数の表現が得られる。
http://www.i.h.kyoto-u.ac.jp/~tsuiki/bit/gray.html

注4 Javaアプレット
http://www.i.h.kyoto-u.ac.jp/~tsuiki/vma/vm.html

注5 シェルピンスキー四面体
フラクタル図形の一種。正四面体を4(あるいは、16、64……)個つなげてできた立体図形。本当のシェルピンスキー四面体は極限的に定義され、工作で作れるものではないので、ここでは、その有限の近似をシェルピンスキー四面体としている。

注6 シェルピンスキー・ガスケット
Sierpinski Gasket。フラクタル図形の一種で、自己相似的な無数の三角形からなる。
http://astronomy.swin.edu.au/~pbourke/fractals/gasket/

注7 学生を再帰的に配置し
「学生に、再帰的に工作してもらえるようにグループ分けして座らせた」という意味。自分がどの役割を担っているかを自覚して作業すれば、再帰の概念が身に付く。

注8 正方形の影
次のURLに、正方形の影ができている様子を撮影した写真を掲載している。
http://www.i.h.kyoto-u.ac.jp/~tsuiki/

注9 「すべての人のためのJavaプログラミング」
立木秀樹、有賀妙子著/2,835円(税込)/ISBN4-320-02990-9/共立出版
サポートページのURLは次のとおり(2004年12月現在)。
http://www.kyoritsu-pub.co.jp/service/service.html#javabook

注10 同じアイデアで書かれた教科書
「やさしいJavaプログラミング」
千葉 滋著/3,780円(税込)/ISBN 4-7561-4485-3/アスキー
「タートルグラフィックスを軸にしてJavaの教科書を書くという本書の着想は、直接的には次の本から得ました。」というコメントのもと、『すべての人のためのJavaプログラミング』が参考文献として紹介されている。
http://www.ascii.co.jp/pb/ant/gi4java/

注11 調査報告書
『「情報化が子どもに与える影響(ネット使用傾向を中心として)」に関する調査報告書』。「学校におけるIT活用等の推進に係る事業(情報教育の改善に資する調査研究)委託事業」(平成14年度)として、文部科学省によって配布されたレポート。吉田先生が、「第5章 保護者アンケート調査の分析」と「第6章 教師アンケート調査の分析」部分を執筆している。またこのレポートのPDFデータが、以下のURLで配布されている。
http://www.cec.or.jp/books/books14.html

注12 岡潔
1901〜78年。多変数複素関数論において世界的な業績を残した数学者。教育と心について強い関心と危機感を抱き、数学者として独自の提言を行った。奈良女子大学附属図書館では、岡潔文庫として資料データベースを作成し、インターネット上に公開している。
http://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/

注13 『情緒と創造』
岡潔著/2,940円(税込)/ISBN:4-06-211173-X/講談社
岡潔の著書の中では、1964年から1967年に書かれた文章が所収されている『情緒と創造』が最初は読みやすい。主な表題は「こころ」、「創造性の教育」、「女性と情緒」、「教育というもの」、「数学教育」など。このほか入手可能な本として、『岡潔 日本の心』などがある。
『岡潔 日本の心』
岡潔著/1,890円(税込)/ISBN4-8205-4297-4/日本図書センター

注14 修羅道
修羅道とは、仏教の六道の1つ。六道とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道のことで、前の2つが二善道、後の4つが四悪道といわれる。

注15 鉄腕アトムの生誕日
鉄腕アトムは、2003年4月7日に生まれたとされている。手塚治虫は50年以上も前に「2003年4月7日にはこのようなロボットが誕生する」と予想していたことになる。
http://ja.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m025/m025_01.html

注16 情緒
岡潔のいう情緒は、通常意味する情緒とは違う。喜怒哀楽は情緒ではなく、情緒の濁りといったもの。情緒は一言で説明できるものではないが、岡潔によれば、たとえばすみれの花を見たときに、「すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。」としている。

注17 Wake On LAN
Wakeup On Lanとも呼ばれる。ネットワークを介して、遠隔地にあるコンピュータを起動するための仕組み。


Wnnの近況報告 〜携帯電話のメジャーな日本語入力システムに発達〜 よしだともこ

 UNIX上のかな漢字変換システムとして、1987年に最初の版が完成したWnn(うんぬ)は、もともとフリーで公開されていましたが、1995年にSolaris版Wnn6がオムロンソフトウェアから発売された後、さまざまな商品版が誕生しています。一方、フリー版のWnnは、使用許諾条件をGPL2と変えて、1999年からはFreeWnnという名称で使われるようになりました。歴史的な経緯を含め、詳細を次のURLにまとめているので、参照してみてください。
 http://www.tomo.gr.jp/wnn/wnn-yogo.html
 そして2005年は、開発スタートから20年経過という区切りの年になります。当初からかかわってきた者として、ここで簡単に近況を報告しておきます。

●FreeWnn

 まず、2004年8月、FreeWnnの公式WebページのURLはhttp://www.freewnn.org/のまま、メーリングリスト(以下、ML)を含む開発の本拠地をSourceForge.jp上に移行しました。
 http://freewnn.sourceforge.jp/
 また、FreeWnnのjserverに接続するためのクライアントライブラリがGPL2であると不都合という理由で、LGPLにすることが提案され、Wnnへのパッチコントリビュータから「FreeWnnライセンス変更に関する同意書」を集めることで、ライセンス変更パッチがMLで公開されました。

●商品版Wnn

 商品版Wnnに関しては、UNIX向けと、組み込み向けという2つの日本語入力システムの流れが存在します。UNIX向けに関しては、2002年1月に、Solaris 8/9(SPARC版)と、IBM AIX 4.3用の「Wnn7 server」が登場し、2003年2月にはLinux/BSD版「Wnn7Personal」が販売されました。現在、新機能の追加に向けて、開発がさらに進められているようです。
 組み込み向けでは、2000年2月に携帯電話に初めてMobileWnnが搭載されて以来、カーナビ、カーステレオ、DVDレコーダ、テレビ、ゲームなどへの搭載が増えています。携帯電話に関していえば、採用メーカーは、パナソニック、サンヨー、京セラ、ソニー・エリクソンだそうです(2004年12月現在)。たとえば、KDDIのauの場合、発売中の携帯電話22機種のうち、9機種がAdvancedWnnかMobileWnnを採用しており、携帯電話のメジャーな日本語入力システムになっているといえるでしょう(2004年11月現在)。詳細は、次のURLを参照してください。
 http://www.omronsoft.co.jp/SP/

私のUNIX #26 〜立木秀樹さんのUNIX〜

●OS環境:Sun、FreeBSD、Mac OS X、Cygwin

 最初に研究室で触ったのがSun 2で、もう20年近く前になります。その後、OMRON Lunaシリーズをはさみながら、Sun 3、Sun 4、SS1+、SS2、SS20と、サン・マイクロシステムズばかり使ってきました。あまりマシンの差異を気にすることなく(途中でSunOSからSolarisへの変化はありましたが)、同じような環境で仕事ができたのは、マシン管理の手間が省けてラッキーでした。SS20もさすがに1年前に引退し、メインのマシンをPower Mac G5にしました。UNIX環境、ユーザーインターフェイス、またそれほどウイルスに気を配る必要もなさそうで、宣伝では「静か」だといっていたことが選定理由です。ノートPCではもっぱらFreeBSDをインストールし、Linuxよりも分かりやすく、安心して使えていました。当初は、WindowsをインストールせずにFreeBSDだけで仕事をしていましたが、いまでは、Cygwin上でUNIXコマンドを利用するだけです。

●シェル:Tcsh、Bash

 ずっとTcshを利用していました。しかし、何でもデフォルトのままで使うことが多くなってきて、最近では、Macの上ではTcsh、CygwinではBashのままです。

●エディタ:Emacs

 使うマシンはWindowsやMacとずいぶん変わりましたが、使い方そのものは昔からほとんど変わっていません。文章やメールの読み書きは、大学ではMacでX上のEmacsを使っています。家では、Tera Termを使ってネット経由でMacにログインし、そこでEmacsを利用しています。こうすると、家でも大学でも、日本語入力はWnn6、メールの読み書きはmewで完結できます。Macらしく使うことも考えましたが、自宅からネット経由で接続しても同じように使えるようにするには、これ以外考えられません。インターネットもどんどん高速になってきたので、十分に快適です。Windows上では、meadowとIMEを使っています。ただIMEだけは、Wnnに似せた設定をしています。

●そのほかのこだわり

 メールも含めすべてのファイルを1つのコンピュータに置くように心掛けています。そのため、できるだけ遠隔ログインで作業をしています。Word文書の作成などローカルで作業が必要な場合は、rsyncで取ってきてrsyncで返すように心掛けています。
使い慣れた環境はできるだけ変えたくないもので、ちょっと前までは、キーボードはJIS配列のものでもASCII配列に設定し直して利用していました。しかし、教育用マシンや、自分用の設定を残せないマシンに触れる機会があまりに多いため、JIS配列に慣れる決心をしたのが、1年前のことです。

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Last modified: Mon May 21 12:43:07 JST 2007 by Tomoko Yoshida