「ルート訪問記」のイラストは、大山正弥さんが描いてくださっています。 大山さんと私は、1986年頃の数年間、同じ会社の同じ部署で働いていました。うぁ~、もう12年ぐらい前のことになるんですね。(確かに、 あの時の干支<寅>が、まためぐってきている…。)
当時私は、メインのお仕事のかたわら、"Mailbox" という名前の「社内向け、UNIX社内普及のための情報誌」を、だいたい2ヶ月に一度のペースで発行していました。1986年の秋の創刊当時は、「会社のこの部署で、UNIXがシステム開発に使われてるよ」とか「こんなシェルスクリプトを作りました」のような情報を掲載していました。その後、内容、ページ数は飛躍的にふくらんでいくのですが、とにかく、私がオムロンを去った、1991年秋までの丸5年間、合計26冊の雑誌が発行されました。
さて。メインのお仕事(UNIX上でのC言語のプログラム開発など)は、申し訳ないほどに苦手だった私でしたが、情報誌発行の作業は向いていたようで、つねに「今度は、どんなことを載せようかなぁ~」と、新しいネタを求めて、ワクワクしながら毎日を送っていました。そんな時期に、会社のお隣の席に座っておられたのが、大山正弥さんでした。当時の大山さんのお仕事も「UNIX上でのC言語のプログラム開発」で、コンピュータが苦手だった私は、大山さんから*も*、いろいろと教えていただいていました。
ある時、大山さんがとってもイラストがお上手なことを知りました。 自然な流れとして、私は大山さんに、「この記事に、イラストをつけるといいと思いません?」とか「ここに、○○さんの似顔絵を載せるといいと思いません?」という風に、(仕事中の大山さんにやたら)話しかけ、「イラスト描き」を頼むようになりました。その後、それがエスカレートし、この情報誌には、大山正弥さん作の「勉強マンガ:シス研物語」という、2ページものの本格的な「マンガ」が連載されるようになりました。
(何がどう、学習マンガだったかというと、「これを読めば UNIXのこと、ワークステーションのことがバッチリわかる!」というマンガだったのです。最初はね。だんだんと、主人公の女の子が恋に落ちて結婚したり、出産したりで、ちょっとメインテーマが変わっていったのですが。笑)
実はこのマンガ、この情報誌の読者に、とてもとても人気があったのです。 「社長も、楽しみに読んでおられます」という情報が、社長秘書の方から届くほどでした。このマンガの他に、大山さんに必ずイラストをつけていただいていたのが、「あとがき・らくがき」と称する、私の600字程度のエッセイでした。このエッセイのイラストには、後にルート訪問記のイラストにも登場する、「ともこ」顔の女の子が登場していました。ということで、大山さん作の「ともこ」顔イラストは、1986年からの長~い歴史があるのでした。
当時書いた「あとがき・らくがき」を3つほど紹介しておきますね。歴史を感じる記述もあるので…。
私は会社を辞めてからも、UNIX系の本や雑誌記事を書いたりしていたので、 大山さんには時々、イラストをお願いしていました。そんなこともあって、 私は名刺に、 「ともこ」顔イラストを刷り込んでいました。ある時(1994年の秋ごろ)、 ソフトバンクの UNIX USER 編集部で、 「取材記事が書きたいな…」と編集部の方に交渉していた時、 編集部の方は、イラストが刷り込まれた私の名刺を見ながら、 こう言われました。
「よしださんは、イラストが描けるんですよね。それなら、楽しい 記事に仕上がる可能性もありますね。」私は編集部の方に、「そのイラストを描いているのは私ではなく、 友人の大山さんであること。すでに、10年ちかく前からのコンビだし、 コンピュータについても詳しいので、内容に適した、 素敵なイラストを描いてくださるに違いないこと。」を告げました。 で、速攻で、大山さんへの交渉を開始したのでした。
交渉は成功し、大山さんのイラストを含む連載「ルート訪問記」が、 UNIX USER誌に掲載されるようになりました(1995年2月号から)。予想どおり、 "Mailbox"の読者の方々から、「おー! 懐かしい大山さんのイラストが復活した。 これは、めでたい!」という反響がありました。その後、"Mailbox"の読者の方以外にも 「イラストファン」は広がり、今日(1998年)にいたっています。
当然、私(よしだともこ)自身、大山さんの描かれるイラストの大ファンです。 「この内容には、こんなイラストがいいんじゃないかなぁ」 と相談している時は単純に楽しいし、でき上がってきたものを見ると、 毎回、ワクワクします。みんなに「見て、見て」って言いたい気分になります。 雑誌に掲載されることで、多くの人が見てくださるのですから、 こんなに幸せなことはありません…。